2005.11.08

本田美奈子.さんの逝去にあたり。。

そのニュースは大阪の自宅で知った。 夕方だった。

驚きとショックが同時だった。

85年のデビュー。 当時はおニャン子クラブが全盛期のころで、
その中で、ソロの実力派のアイドルとして、常にがんばっているというか、
ピキピキしている、というのが印象的だった。

自分はそのころかなりアイドルに入れ込んでいて、いまでいえばネコヲタと呼ばれていただろう。
ただ、超活動派のなかでも、自分はかなり全方位的にアイドルが好きだったので、
80-90年くらいのアイドルには、どのひとにもなにかしかの思い入れがあった。

とりわけ85-88年にかけては、かなり思い入れが深く、印象深いひとたちばかりだ。

そのなかで「本田美奈子」という存在も忘れることはできない。
あの当時、おニャン子以外で立派に活動できて、いま現在も活躍しているひとは、
思っているよりも少ない。
そのなかでも、本田美奈子は当時からその声と声量は抜群だった。
性格も勝気で真剣ながんばり屋。 それゆえ誤解されることもあったが、
素直さと勝気なところはまさに芸能界向きで、あっというまにトップアイドルとなり、
ミュージカルに転向していくのは、むしろ自然な流れだったかもしれない。
決して順風な芸能活動ではなかったが、そのたびに快活な笑顔が曇ることはなかった。
生で舞台を見たことはないが、公開映像とかで見る限り、素質との相性のよさをミュージカルに見たようだった。
その声で歌うクラシックも、素敵だった。

数ヶ月前の病名発覚のときの落ち込みようはすごかったらしい。
ここ最近の活動の盛り上がっていた矢先だけに、ショックはかなりのものだったようだが、
切り返しもはやく、自身を奮い立たせるような発言や行動が、ほんとにすごいなーって思ってた。

あの当時、概ねのアイドルは年が近く、最近は結婚や出産や人生の転機など、
自分の実生活に近いところもあり、そういう意味でもなにか妙な親近感があった。
そのなかで、この世を去ることは、少なからずのショックだった。

志なかばでの旅立ちは、本人も周りも、そしてファンにとっても残念であり無念だと思う。
「ひととしての死」は、等しく平等に訪れる。 時間や時期とは別に。
ただその視点からだけ見れば、彼女は亡くなってしまったが、
いまの状況をかえりみて、とても愛されて好かれている存在であることがわかり、
そのことに関しては、幸せであるのかな、と。
とてもとても悲しいのであるけど、彼女を話す人々に愛情が感じられて、
彼女の姿勢や個性が、見つめていたひとたちに力を最後にあたえているかのようだった。

自分もまた、昨日から今日にかけて、またひとつ「生きる」という意味を知らされた。


こんなときに聞きたいのは。。

最初に浮かんだのは、浜田省吾 「君に捧げるlove song」

すっごい好きな曲だあると同時に、悲しみの記憶のつまった曲でもある。
あまりにも悲しいことの翌々日に発売されて、内容もまさにそのままのことだっただけに、
当時は毎晩のように聞いては涙していた。
自分の場合は突然でもあったので、驚きが大きく、次にショックがきて、その後悲しみがやってきた。
半年がたったころは、聞くとかなしいことがフラッシュバックして、逆に聞けなくなってしまった。
しばらくしてPVの映像を見る機会があった。
そして、やっとこの曲とその詩に向き合うことができるよになった。
いまは、この歌に救われている。  リアルすぎる想い出の場所に住んでいても。

でも、今夜は、ある意味自分の中でもっとも悲しく切ないこの曲が思い出された。

   スピッツ 「空も飛べるはず」


  ♪ きみと出会った奇跡が この胸にあふれている
    
    きっといまは自由に空も飛べるはず

    夢を濡らした涙が 海原に流れたら

    ずっとそばで笑っていてほしい  ♪


明日と明後日の葬儀の行われる会場が、自分の隣町だった。
会社の帰りにいってみた。
いまはまだシンとしていて、ここではじまることがうそみたいだった。

この感覚・・ うそみたい・・・  認識はできても、埋るのはいつのことだろうか。


失うことでなにかを知るようになったのは最近かもしれない。


PB070041-low

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